村井さんは2014年にJリーグチェアマンに就任
しました。
異色の経歴の持ち主としても有名ですが
村井満氏は浦和高等学校でサッカー経験も
実は持っていました。
村井満は浦和出身のチェアマンで評判は?
村井満氏はさいたま県の浦和出身で
青春時代はサッカーに明け暮れていた
時代がありました。
村井満氏は第5代チェアマン
普通の会社に就職してJリーグのチェアマンに
なる村井満氏はどういう経歴があったのかを
紹介します。
後ほど高校時代の戦歴も明記します。
- 名前:村井 満(むらい みつる)
- 生年月日:1959年8月2日
- 出身:さいたま県越谷市
- 学歴:早稲田大学法学部
早稲田大学卒業後は日本リクルートセンター
(現リクルートホールディングス)に入社しました。
人材派遣会社の社長に就任して
4年間で売り上げを3倍の450億円にまで
伸ばしたという実績があります。
この時の3年間は香港法人社長として
「J2横浜FC香港」の立ち上げを
アシストしたことでより周りから今のJリーグに
チェアマンとしてなるべき人として
目を引いたのかもしれません。
2008年からJリーグに本格的に
たずさわることになり理事を務めました。
そして2014年1月31日に第5代チェアマンに
なったという経緯です。
- 初代: 川淵三郎(1991-2002)
- 2代: 鈴木昌(2002-06)
- 3代: 鬼武健二(2006-10)
- 4代: 大東和美(2010-14)
- 5代: 村井満(2014-)
村井満氏の息子のサッカーでの取り組み
本人も高校でサッカーをやっていたことで
社会人になってからもやはりサッカー愛は
消えなかったと思います。
その証拠に村井満氏の息子がサッカーを
やっているチームがありました。
息子さんは小・中・高とサッカーを
プレーしていたのでサッカー少年の親として
週末はいつも携わっていたそうです。
そのチームは年間すごい試合数をこなすことで
結構本格的でそこで父親としての
参加も結構していました。
そこで村井満さんはサッカーの審判などを
やったり審判の資格をとるために励んでいたり
したそうです。
子供が休んでいても構わずに少年サッカーチームの
お手伝いをしていたそうです。
村井満氏いわく息子のためでなく
自分のためにそういう活動をしていた
とも言っています。
息子に関しては基本ほったらかしですよ。父親としてはほとんど何もしてない。
少年団のサッカーも途中から息子のためというよりは自分のためになっていきましたからね。
息子が練習に来ていないこともあったように記憶していますし、
親が本気でサッカーに関わることを楽しむ姿を見せることに意味があったのかなとも思っています。
引用:村井満氏コメント
仕事では売上を伸ばす経営手腕の実力がある
一方で週末には子供のサッカー親として
携わりほんとに何をやっても一生懸命な
ところが見えます。
村井満氏の評判はJリーグのさらなる向上に
向けて抜擢されたに違いありません。
村井満は浦和高校出身で高校時代はサッカー選手
村井満氏本人は浦和高校時代サッカーに
明け暮れていました。
村井氏のポジションはゴールキーパーです。
浦和高校時代のポジションはキーパーと
しての実績は
全国高等学校選手権
- 1年生控え選手としてベスト4
- 2年生正キーパーとしてベスト8
- 3年生控え選手としてベスト8
こんな実績があるなんてすごいですね。
キーパーのポジションはだいたい3人が
いてその中から正キーパーが選ばれる
ことが多いですが一度はずれたら
信用がないと使ってもらえないのが
実情です。
味方チームの正キーパーがナイス
セービングしたらどんどんサブキーパーは
使ってもらえないので大変なポジショんでも
あります。
まとめ
村井満氏は浦和高校時代はゴールキーパー
として全国大会に出るチームに属していました。
早稲田大学卒業後はサッカーの道ではなく
普通の企業リクリートに就職しましたが、
そこでの実績が買われ「J2横浜FC香港」の
立ち上げをアシストしたことで今の地位である
チェアマンになった経緯がありました。